大正九年(一九二〇)庚申(かのえさる)九月十五日 王仁三郎、五六七殿で「弥勤の世に就いて」の講演。「世の終わりが近づいたという事は、基督教でも、仏教でも唱えております。それを神さまが金剛力で支えて居って、其の聞に改心させて、一人でも余計に助けたいと御骨折りになって居ります。それも知らずに『それは大正十年頃だ』とか、『十一年頃が本当だ』とか『嘘だ』とか言って騒ぎ廻って居って、『若し大正十一年に来なかったならば、我々が先鋒となって大本を叩き潰して了う』といって居る人等が在るとか言う事で、実に面白いことであります。是は全く悪魔に魅せられて居るので、神さまの事が分かるどころか、利己主義の骨頂であります。斯う云う事で、何うして弥勤の世が実現しましょうか。…」(大正九年九月十五日、王仁三郎、五六七殿で講演。「弥動の世に就いて」。『神霊界」大正九年九月二一日号) 大正十年(一九二一)辛酉(かのととり〕二月十二日 大本第一次弾圧事件。「大正十年の(大本)節分祭の時に、南洋の土人がワニをもてあそんでいる映画を見せたのは、大本事件(第一次)の来る事を謎で知らしたのである」(「新月の影』)「辛の酉の紀元節、四四十六の花の春、世の立替え立直し、凡夫の耳も菊の年、九月八日のこの仕組」(「伊都能売神諭」大正八年一月二十七日。『神霊界」大正八年二月一日号)「…肝心の生神の居る場所へは、御伴は一人も許す事は出来ぬから、何時王仁の姿が見えぬ如に成りても、心配は致して下さるなよ。何も別状は無いから、前から筆先で知らして在る通り、神が守護いたして居るから、○○○○殿、チットモ心配は致して下さるなよ:::」(「伊都能売神諭」大正八年八月十二日。『神霊界」大正八年十一月一日号)六月十七日 王仁三郎、保釈出所。一二六日の獄中生活。「大本十年事件の時、京都刑務所へ松村真澄氏が面会に行かれますと、聖師様が人差指で左手掌を三つ突いて見せられた。その意味が判らずにいたら、三月日に保釈出所されて『三月したら出る事を知らしたのだ』と教えられました」(『新月の影」)王仁三郎の獄中生活の一二六日は、ダニエル書第七章「かれ至高者(いとたかきもの)に敵して言を出し、かつ至高者の聖徒を悩まさむ。彼また時と法とを変んことを望まむ、聖徒は一時と二時と半時を経るまで彼の手に付されてあらん、かくて後、審判(きぱき)はじまり彼はその権を奪はれて終極まで滅び亡ん」と相応する。一二六の数字は、出口和明氏の考察では、大正十年から大正十三年の入蒙にかけて五回現れる(『予言・確言」二四三頁)十月十八日、霊界物語口述開始。十月二十日 午後一時から本富山神殿破壊開始。『神霊界』の大正十年一月号に、〈切り紙神示〉の紹介。大正九年十二月十五日発行やまと新聞の記事で、ある政客が大本の正体を見破るとして切り紙を組み立てると、「さて、この二大勢力が衝突するのはいつかとみると、明らかに大正十年旧九月二十日午後一時と出る」と予言。それが時間までもピタリと当たった。王仁三郎は、霊界物語第一巻序文末尾「大正十年十月二十日午後一時」と記し、この日は国祖隠退の物語を口述している。