昭和六年(一九三二辛未(かのとひつじ)この年 昭和六年は西暦一九三一で「いくさのはじめ」、皇紀二五九一で「じごくのはじめ」と、王仁三郎は冗談のように語った。昭和六年のいつごろに、この年号読みかえを語っていたか不明だが、十月十八日の講演で「本年はナンセンス的に言へば西暦で一九三一であり我が紀元では二五九一であると言って置いたが、愈々その通りになって了ひました」と語っており、九月以前であることは確かである。春雛と兜の絵は満州問題の予言。「王仁は昭和六年の春ごろからお雛様と五月節句の兜の絵をしきりに描いた。兜は戦争が始まるという神様の謎のお示しであって、お雛様は満州に薄儀執政の立たれる謎の予告である。男雛さんは今までの型をやぶって袖をちょっと折って女雛様を抱擁している姿である。日満の関係を予告された神様の謎である。わたしはこれをエロ雛様と名づけたが、そこにも神様の謎がある。日満の包容帰一をエロ関係に象徴せられたのである」(「紙雛様と兜」『玉鏡」昭和十年三月三十日発行) 九月八日 本宮山に神声碑、碑、歌碑の三基を建立。十日後の満州事変を予言。「…九月八日は大本にとっては不思議な日であります。本宮山の神は一名桶伏山と言って、大本教旨を書いた大きな天然石があって、彫刻したなりで時期が来るまで伏せて置いて蒙古入りをして帰ってきても未だ起こす時期が来なかったのでありますが、その石を本年の九月に入って神様からはじめて早く建ててくれと言われて建てた。うっかりしていたが、後で気がついてみると、新の九月八日に建て上げてゐた。それから、十日後の九月十八日には満州問題が起ると予め言って置いたがその通りに起りました。又本日が旧の九月八日であって新の十八日に当たっているのも不思議であります。これから世の中は一転機を来すが詳細は既に「瑞の神歌』に発表して置いた通りでありまして、お筆先に十年或は十二年延びると神示されてある通り、いよいよ十二年延びて本舞台に入ったのであります。信者の方は緊張して神様の御心を覚って大活動をなし、これから来るべき世の大峠を越えるやうに努めて頂き度いと思ふのであります。…」(昭和六年十月十八日の講話。「真如の光」)「われかつて瑞の神歌をあらはして今日の有様つぶさに示せり」(昭和六年十一月)