明治三十九年(一九O六)丙午(ひのえうま)十月一日 綾部~京都間の国鉄開通。「二代教主(出口澄)は『先生(王仁三郎)がここの屋敷を汽車が通ると申されていたが、しばらくすると、大本の屋敷を汽車が通る様になった」と語られた」(『新月の影』)。この種の予言は多い。戦後すぐ王仁三郎は当時田圃の真ん中だった現在の愛善苑の場所(当時、中矢田農周)に国道が走り、亀岡の中心になることを語っていた。その後山陰道の動脈・九号線が通り、現在、実際に中心化してきた。