高熊山修行の際、神から十年間の修業を告げられたととれる次の文章もある。「余に改めて教え諭された事が有るから、一寸記載する次第は左の件である。「汝、此の大業を遂成せんには、数多の年月を要すベし。其の聞には千辛万難を排して進まざる可らず。十年の後に至って、汝始めて宇宙の大真理に接する事を得ん。其の聞には、前途に峻坂を見る事あるべし。数多の敵になやめらるる事有るべく、大妖魅に接して大苦難に逢遇する事有るべし。入獄する事有るべく、精神的自殺を遂ぐる事有るべく、大疑問に包まるる事も有るべし、然れども、汝屈する勿れ。汝をして大業を遂成せしめん為に、千辛万苦を与えて、汝が真心を練らしめ、生ける神となさん為の天意なれば、不屈不撓の精神を持しつつ、真理を求むる方向に向かって猛進すべく、十年の修業成りて汝の意志始めて発揮せらるるの域に達すベし。云々」。余は、以後此の神示は一刻も忘るる事能わず。事に接し物に触るるに従いて、自省の力となしたりき」(「本教創世記」明治三十七年一月十三日筆。『出口王仁三郎著作集一巻)夏 王仁三郎審神となり石田小末を神主にして男山八幡の小松林の神霊懸り、日露戦争を預言。(「大本教の活歴史」大正二年十月。「出口王仁三郎著作集』五巻)

明治四十一年(一九O八)戊申(つちのえさる)三月十七日(旧二月十五日) 王仁三郎、高熊山入山から十年目。明治三十一年に預言された「十年間の修業」が終わり、京都から年末には綾部に帰る。翌明治四十二年から、綾部神苑の整備などが、王仁三郎によって積極的に行われてゆく。