昭和七年(一九三二)壬申(みずのえさる)一月三十日『瑞の神歌』再発刊。二月一日発禁に。二月四日 節分祭当夜、みろく殿で「瑞の神歌」を引用しつつ「大本の経綸と満蒙」を講演。「…この満四十周年に際して、神さまが予て御警告になってをりましたシベリア線を花道とするということがいよいよ実現してきたのでありますから…」(「大本の経論と満蒙」『神の国』昭和七年三月号)昭和八年(一九三三)癸酉(みずのととり)一月二十六日 旧正月元旦を期して「大本」を「皇道大本」名に復活。二月一日 亀岡天恩郷内に中之島梓亭(弓場)完成。明治四十五年以来、王仁三郎弓を引く。戦争の予言か。二月四日 王仁三郎、節分人型行事中、自ら太鼓を打ち七五三調を五六七調に。速佐須良姫として瀬織津姫の潔斎行事の先頭に。閉塞してゆく時代への予言的行為とも受け取れる。三月二十六日 みろく大祭を期し国体闡明運動。「三千年の神の経論の開け口いよいよ日本は非常時となりぬ」(「歌日記」『明光」八年五月号)十月四日(旧八月十五日) 霊界物語「天祥地瑞」口述開始。「天祥地瑞」の持つ預言的要素については、本誌創刊号所収「昭和神聖会と霊界物語『天祥地瑞』(出口三平)に。